2013年 09月 20日
Satoru Nakajima
ツインリンクもてぎで行われたS-GT公式テスト。それに関する記事をupする前に、どうしても触れておきたい一件が・・。

ツインリンクもてぎの敷地内には「HONDA Collection Hall」なる博物館がありまして、ここに歴代のホンダF1を始めとするレーシングマシンが期間限定で展示されてるとの事で立ち寄ってみました。そこには常勝を誇ったマクラーレンやウィリアムズのマシンと共に、Camelカラーに彩られた1台のロータスF1が展示してありました。
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中嶋悟。
モータースポーツを多少なりとも知ってる方であれば、この名前を知らない人はいないでしょう。

日本人ドライバーがF1を走るのは中嶋以前にもあったにはあったんですが、それは当時に何度か開催された日本GPで、地元だからって事によるスポット参戦的なものばかりで、セカンドドライバーとしての契約ではあっても、正式に1年通して、日本人ドライバーがヨーロッパを本流とするモータースポーツの最高峰F1を走るなんてのは奇跡みたいなものだったし、その年からフジテレビが全16戦衛星生中継に踏み切ったり、やがてやってくる空前のF1ブームに火を点けたのは紛れも無く中嶋悟だったと言っても過言ではないのです。
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最強と呼ばれたホンダエンジンを擁しての参戦とは言え、中嶋悟のF1初シーズンはキツい事だらけだったのですが、そんな中でもイギリスでホンダエンジン1~4位独占と言う快挙の一角を担う4位入賞を果たしたり、地元凱旋の日本GPでは良いところ見せまくりの6位入賞したりと、私はセナもプロストもマンセルもピケも好きだったんですが、中嶋悟は「大」が幾つも付く程に好きになりました。フル参戦の形で、しかも名門ロータスからエントリーした1987年は私の中でも忘れられないシーズンとなり、大体において深夜の放送であるF1中継なのに、翌日の事も考えず全戦テレビの生中継。友人と一緒に酒盛りをしながらテレビの前で大騒ぎしつつ観戦したのも良い思い出です。
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そんな記念すべき彼の初シーズンは翌年に1冊の本としてまとめられました。「F1 走る魂」。もう何度読み返したでしょうか、もうカバーなんぞボロボロになってしまい残ってないですし、状態も色褪せてしまったりしてますが、私の中ではバイブルと化した1冊です。

本の中にこんな件があります。

中嶋悟はロータスの正式なドライバーになる数年前に一度だけ、そのロータスのマシンをテストドライブをした事があるんだそうです。実はその時、高速走行時に突然のマシントラブルが起きてアンコントロール状態になったらしいのですが、中嶋はクラッシュする事もなく、安全にマシンをエスケープゾーンに導いたそうです。この事でチームロータスはドライバーとしての中嶋の資質を非常に高く評価した様で、彼は後にイギリス人ジャーナリストからその話を伝え聞かされるのですが、中嶋とロータスの契約がホンダエンジンの新たな供給契約に端を発したものであるのはある意味で事実でしょうが、単に「ホンダエンジンにくっついてきたドライバー」として契約したものではなく、ちゃんと中嶋と言うドライバーの事を知っている上での契約だと分かって、彼はとても喜んだんだそうです。その時の彼の発言でこういったものがあります。「人間の生き方ってのは、その時その時の出来事は無関係の様に見えても、実はちゃんとつながっているんだと思ったね。ロータスのマシンに乗った事も、今になって思えばあの時に一生懸命にやった事だって意味があったんだよ」。代わり映えのしない日々にダラダラと流されてしまいがちな私としては、なんかこう支えになる様な言葉で、その後の私の中で大事にしている教訓めいたひと言になっっています。
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ロータス99T。このマシン自体は当時として最先端だったアクティヴサスペンションに悩まされ、同年にピケとマンセルの2人で圧倒的なパフォーマンスを魅せつけたウィリアムズFW11に遠く及ばなかったのですが、このマシンが展示されているのを見て、そしてエースドライバーであったセナのものではなく、他ならぬ中嶋悟のマシンだったのに感激し、長文記事となってしまいました。

by kotodaddy | 2013-09-20 18:33 | その他


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